本文へジャンプするためのナビゲーションスキップです。

本文へジャンプします。

食のイベントカレンダー

生産者の取り組み

おきたま食の応援団会員募集

レシピ集

産地通信

産地通信(ウェブ限定版)

ライブラリ

メルマガ

動画で知る!おきたまの食材情報

グリーンフラッグ店お得情報

リンク集

生産者の取り組み

生産者の取り組み
取組みファイル024

「梓山大根400年の歴史を繋ぐ」

釜田恵治さん


 米沢市南東部、万世町梓山地区。“梓山(あずさやま)”と書きますが、なまって「ずさやま」と読みます。この土地で栽培されてきた大根も、梓山大根「ずさやまだいこん」と呼ばれています。
 
 すらりと長くしっかりと硬い梓山大根は、昔から漬物に用いられており、梓山地区では貴重な現金収入源でした。
 
 今回は、その梓山大根を守り続けてきた釜田恵治(えいじ)さんに、お話をお聞きしました!


― 400年の歴史を今に ―
 
 初雪が降った数日後、地面にまだ雪の残る釜田さんの畑を見せていただくと、勢いよく葉が伸びる青首大根の横で、梓山大根はぴったりと地面に葉を這わせていました。夏には空に向かって伸びていた葉が、寒くなると地面に這うのは、地熱や太陽の熱を逃がさないようにするためだそうです。さらに、葉にはとげのような毛があり、虫が簡単に寄り付かないようになっています。「誰教える訳でなく自然にそうなるのは、天から与えられたものだべな」と釜田さんは言います。
 
 梓山大根のルーツは、約400年前まで遡ります。現在でいう長野と新潟の間あたりに生まれた直江兼続が、米沢へ移封の際にその土地の大根の種を持ち込んだことで、米沢での栽培が始まったと言われています。その後、米沢藩9代目藩主である上杉鷹山が梓山で作ることを奨励し、この地域に根付いていきました。

 釜田さんが学生の頃、米沢市内には大根市場が出て大変にぎわっていたそうです。食料が少なかったその時代、大根は冬の食べものとして大変な需要があり、いくら作っても足りないほどでした。当時の梓山では蚕と大根が貴重な現金換金作物だったため、市場へはもちろん、注文があれば東部の梓山から西部のはしまでリヤカーで大根を運んで行ったそうです。
 
 昭和30年代後半の高度経済成長期に入ると、広大な畑だった土地は八幡原工業団地となり、農家は労働者となっていきました。大根は品種改良が進み、柔らかくて真っ白な大根が主流となり、漬物用の硬い梓山大根の作り手は徐々に減っていきました。
 
 そうこうするうち、作り手は釜田さんたった一人に。一人になっても釜田さんは、自宅の畑で栽培をし続けました。しかし、このまま一人で続けていては梓山大根がなくなってしまう、と危機を感じた釜田さんは、平成8年、近くの万世小学校へ協力を依頼しました。それから毎年、小学4年生向けに特別授業を設け、児童が梓山大根を栽培しています。釜田さんはその授業で、「この地区で、この大根を作りたいという人が一人でもいいから出てほしい」と話しているそうです。種を守り続けるには、後を引き継いでくれる存在が必要なのです。

 さらに今年から、栽培するだけでなく小学校で種を採ってもらえるよう指導を始めたそうです。現在は釜田さんだけが種を守っていますから、種を守る人が増えることで未来に繋がる可能性が出てきます。
 
 種を守るため、収穫の際に一度すべての大根を掘り起し、形のいいもの(釜田さん曰く、ミスユニバースの大根!)を選抜し、再度土に植え、ねずみにかじられないように杉の葉で周りを囲い冬を越します。春になると、とうが立ち花を咲かせ、種を採ります。様々な花が一斉に花を咲かせる春、交配を防ぐためほかの大根の花を咲かせないよう、釜田さんは地域の人に頼み込み、今は地域全体で梓山大根の種を守っているのです。
 
― その時代、大根が万能食材だった ―

 梓山大根は、主に大根漬けにして食べられます。大根漬けは、春先になると自然と黄色く色づくのが特徴です。そしてその硬さ。パリッとした歯触りは、梓山大根だからこそ。そしてその色と硬さは3年経っても失われないというから驚きです。
 
 戦後の食糧難の時代、映画「おしん」に登場するような“大根めし”は日常的に食べられていました。大根を小さく切ってご飯と一緒に炊くことで、お米のかさ増しになったのです。大根漬けをおかずにご飯を食べるのは常で、来客の際には大根漬けはお茶菓子としてふるまわれ、夏には酢と砂糖をかけて夏菓子として食されていました。
 
― 種を守る使命感 ―
 
 釜田さんのご自宅には、囲炉裏があります。人間は古代から火を囲んで話をしており、火は人を安心させ本心を語らせる、と釜田さんは言います。

 囲炉裏の中でパチパチと音を立てて焼ける炭を見ながら、釜田さんは、「400年もの歴史があるものを自分でなくすわけにはいかない。やめればそれで終わりだ。なくしてしまったら、先祖に申し訳ない。」と話してくれました。

 梓山大根の種を守るということは、直江兼続から始まった歴史を後世に繋ぐこと。そして梓山大根の歴史を語ることは、梓山の歴史を伝えること。釜田さんが燃やし続けている火は、これからも後世に受け継がれていくことでしょう。

(取材日:2013.11.14)

取組ファイル012
「野生のこくわを、町の特産品に!」
小笠原英信さん
取組ファイル016
「見た目は悪くても味は最高!岡の台ごんぼ」
岡の台バードッグファミリー 小松勝美さん

ページの先頭へ

おきたま食の応援団会員募集