昔から親しまれていた、ギュッと締まって固い「花作大根」。漬物にした時にほかの大根より日持ちするため、大変重宝されていました。
しかし、冷蔵庫の普及や流通の変化などから漬物で保存する必要がなくなり、徐々に栽培する人が減ってしまいました。その後栽培者の努力で花作大根復活作戦が起こり、現在では広く認知されるようになってきました。
今回は、幻だった花作大根の種を守り続けてきた、長井市花作地区の横澤芳一さんに、その歴史をお聞きしました!
― あのパリパリの歯触りを、もう一度 ―
花作大根は「花作」という地名がついていますが、長井だけで食されていたわけではありません。上杉藩時代から、広く置賜一円で栽培されていたと伝えられています。ほかの大根よりも固く長期保存に適していたため、当時は大変重宝されていたそうです。また、花作大根の種子は他地域で栽培しても数年で変わってしまうため、普通の大根の3倍の高値で取引されていたのだそうです。
しかし、時代の変化とともに野菜はスーパーでいつでも購入できるようになり、冷蔵庫が普及したことで漬物保存する必要がなくなり、さらには柔らかく甘い大根に押されて、花作大根はあまり好まれなくなってしまいました。徐々に姿を消していった花作大根。その「まぼろしの大根」を復活させようと、昭和55年に
「花作大根普及研究会」が設立しました。横澤さんの父である勲さんを含む14戸の農家が参加し、栽培から加工、販売までを手掛けました。しかし、会員は全員が農家。加工も販売も初めてのため、試行錯誤を繰り返しましたが結果として5年で解散となってしまいました。そして解散と同時に栽培者もいなくなってしまったのです。
横澤さんと勲さんは、せっかく昔から伝わっているものをなくしてしまうのはもったいないと15年もの間、毎年種を採り続けました。そして平成15年、「あの歯触りが忘れられない、もう一度復活させよう」との声が上がり、
「ねえてぶ花作大根」を立ち上げて再度復活作戦を開始したのです。種を配布し栽培講習会を開いたり、漬物講習会を開催するなどの活動を通して徐々に認知度を高めていきました。そんな活動が認められ、平成17年には、
イタリアのスローフード協会本部から「味の箱舟」に認定されました。
認知度を高めるだけでなく、より良い花作大根を作るための試行錯誤も行われました。本来、花作大根の形は長さ14~15cm直径8cmほどの円筒形~徳利形。大きさも形もばらつきがあった大根を、
優良選抜して3年ほどかけて揃えていきました。現在でも、横澤さんはその種を守り続けています。花作大根の特性がある大根を選抜し種を採り、現在栽培している10名ほどの栽培者へ種を提供しているそうです。
― 漬物以外にも、様々な食べ方が ―
花作大根の食べ方としては漬物が一般的です。一度塩漬けしたものを本漬けすると、パリパリの食感が失われることなく長期間食べられます。 昔から、生では苦くて食べられないと言われていた花作大根。横澤さんは、漬物以外で食べることは考えたこともなかったそうです。しかしあるとき、採りたての大根を生で食べてみたところ、苦みは少なくむしろ
みずみずしくて甘いということが分かりました。それから新たな食べ方を模索しました。
この日は生の大根と大根ステーキをいただきました。生はパリッと気持ちのいい歯触りで噛むほどに辛味が感じられます。大根ステーキは薄くスライスした花作大根をソテーし、塩コショウをふるだけ。火を通すだけで苦みと辛みはなくなり、甘さが十分に感じられました。
生のままスティックにすれば辛味が楽しめ、さいの目にしてチャーハンに入れたり、天ぷらにすると食感と甘みが楽しめておいしいのだそうです。そのほか、酢漬けにすると苦みが抜けることが分かり、酢漬けにした浅漬けが販売されています。
― まずは、食べてみてください! ―
「まぼろしの大根」と言われた花作大根は、2度の復活作戦によって見事に復活を果たしました。それは、
「なくしてはいけない」と種を採り続けてきた人と、
「もう一度食べたい」と願った地域の人たちの努力によって成し遂げられたものでした。
そんな花作大根、
「まずは食べてもらいたい」と横澤さんは言います。見かけた際には、ぜひ食してみてください。ほかの大根では味わえない食感、辛み、甘みを感じられるはずです。
(取材日:2013.10.23)
●花作大根が買えるところ●
- 「窪田なすは、この地区の象徴」
- 渡部照子さん
- 「かぼちゃはやっぱり、宇津沢かぼちゃ」
- 山口泰子さん